'11夏合宿KSMC第4期キックオフ

2011年09月04日

理解して「くれない」とかいうのは

最近心なしか、「~だと言ってるのに理解してくれない、わかってくれない」という話を家でも外でもよく耳にします。

こういう言葉って一方的に相手を指して言うことが多い気がするのですが、私としては、果たしてホントにそれだけ?と感じることがしばしばあります。

まぁ私としては「理解してくれない」と考えること自体がちょっと図々しいなぁとも思うのですが。
どっちかというと「理解してもらう」だと思うんですけどね。言葉の文なのかもしれませんが。
まぁ、それはそれとしてこの手の話は、それ以前に「そもそも理解してもらえる段階に入っていない」ような気がするのです。
なんというか、必要な準備要素が色々と抜けちゃってるんじゃないかなぁと。

例えば、相手側に問題があるとすると、相手の心理状態が安定してるか否かってこととかね。


気持ちがぴりぴりしていたり、慌ててたりと、微妙なメンタルコンディションで受け入れられる量も変わったりしますし(逆を言えばそれに漬け込む残念なパターンは横行してるよね)。
相手の気持ちが荒んでたり、ちょっと調子が悪いと、言葉を受け入れる蓋が中途半端な開き方になってることがあるような気がします。

相手が言ってることは正しいし、自分のためになるかも、ってことがわかってるかもしれなくて、でも気持ちでは納得しなくて簡単には受けれられないなんてこと、結構ある話なんじゃないかなぁと。

 そう これも全て 君のために言うことだよ
 でもごめんね 納得しないこと 簡単には頷けない

岡崎律子さんが作詞された『A happy life』という曲にもこんな部分がありますが、まさにこれとは言わないまでも、こんな感じに近いような気がします。

あとは、相手がそれを理解するための前知識が足りない可能性。
知識を持たずにいきなりレベルの高いことを言われても、相手はクエスチョンマークでいっぱいになっているかもしれない。
理解してもらいたいことを伝えるためには、まず相手の知識や経験がその段階に至ってるかどうかを確認するという作業も必要なのかなぁと。

そんでもって、理解してくれないと思っている自分の側。
ここにも色々な原因があると思います(個人的にはこっちをプッシュしたい)。

最初にも書いたけど「理解してくれない」という考え方をするということは、既に自分の視点でしかものを見れていないような気がするのです。

私自身、こういった体験は結構多くて、自分がそうなってたと後で気づいて反省したり(と言いつつ今でもよくやってるよなぁと我ながら残念さが際だってることもあるのですが)、その分、相手が同じように嘆いているのを見て、あらあらと思ってしまったり。

一方向しか見えていない人が他人に話を受け入れてもらうことはとても難しいことです。
壁に向かってボールを投げているのキャッチしてくれと言うようなもの。

会話って受け手がいないと成り立たないものだから、相手のことを考えながら話さないと単なる演説か独り言になっちゃうんですよね。
相手がいる状態で話をしてる以上、相手を認めて話すというのは必須条件のような気がします。

あと自分の立場が上というのを悪い意味で自覚して留状態で「教えてあげている」という感覚で話をするタイプにちょっとありがちなパターンかも(私はこういう人を"天狗ちゃん"とか、色んな意味で"井の中の蛙"と呼んでます)。

更に言うと、これは究極かもしれないけど、極端に自分軸になってて周りが全く見えていない人もたまにいる。
さくっと言うと「自分が理解できてるから相手も理解できるはず」とかいう見当違いなベクトルやら見解やら持っちゃってる孤高パターン。

これは人にものを教えるとき全体に言えることだけど、この考え方が定着付いちゃってると色々大変。
相手が理解してくれないと思った時にこの考え方が転じて、「自分が理解できるのになんで理解できないのか」「自分ができるんだから相手もできて当然。なぜできないのか」になっちゃうと、もうそれはコミュニケーションを盾にして拷問になってしまう。

そうなると相手は落ち込んだり、ふさぎ込んじゃったり。
場合によってはやる気や自信を失うことにも繋がってものすごい悪循環を起こしてしまうことも。

その悪循環が、話せばわかる内容でも聞き入れられない、この人の話に納得してやるもんかってことで、相手が突っぱねてしまうことにもなりかねない。
挙げ句、自分も自分で話を理解してもらえなくてますますイライラなんて、これほど不毛な悪循環はすごく勿体ないですよね。

最初に「受け手側」の話を書きましたが、まさにここに繋がってくるような気がするのです。

話の受け手側はこういった微妙なところを意識的・無意識的に感じ取って、言葉を咀嚼します。
相手に気持ちを受け入れてもらうことに目先が集中してて、相手の気持ちを考えるベクトルへ向いていないときは、受け手もそれを感じ取って、納得度合いというものも変わってくる気がします。

もっとも、受け手がもともと偏屈だったりしたら終わりなんですけどね(そういうときは、相手が気づくまでそっとしておくしかないんだけど)。

話す側が相手に自分の話を「本当に」理解してもらいたいときは、相手の立場や心情を可能な範囲で考えながら話すのが一番吸収力が高い気がします。

相手と自分のレベル感を理解して、相手を考慮して話す。

もちろん、ここは無条件で必要最低限必須!という知識を相手が理解できていない場合は受け手が歩み寄る努力が必要だったりするのですが。
でもそれにしたって相手との考え方の基準がずれてたらただの押し問答で終わってしまう。
ここもまた難しい。

そこを除いても、これだけでも相手の話の聞き方、言葉の受け入れ方は変わってくると思います。
でもそこがまたまた難しい。
互いの相手への配慮のバランスって難しいことだらけ。
でもそれだけにとても大事なことなんですよね。

kanoe1108 at 00:12│Comments(0)TrackBack(0) 雑感 

トラックバックURL

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
'11夏合宿KSMC第4期キックオフ